当サイトについて
サイト管理人の”はなちゃん”です。
1970年生まれ。ふたご座のO型。動物占いはトラです。
大阪生まれ、大阪育ち、4年前に初の他府県引越で現在東京に住んでいます。
いまだに大阪弁がキレイに抜けず、どこに行っても「大阪の人ですか?」と聞かれます。
東京でベタベタの大阪弁で過ごしています。
家族構成は、娘が2人。東京では高校生の娘とふたりで暮らしています。
長女は大阪で彼氏と同棲中です。
性格は自由人です。好きなことを好きなだけしたいです。楽観的だけど、根暗な部分もあります。
地図は読めません。グーグルマップも読めません。基本的に迷子になる確率は90%です。自分で分かってるので早めに目的地につくようにしています。
趣味はLIVEです。いまだにLIVEハウスに通っています。多分最年長だろうと自分で思っています。たまに私より歳上そうな人を見つけるとうれしくなります。
このブログをはじめたきっかけ
妊娠と胞状奇胎
私が初めて妊娠したのは21歳の時でした。当時付き合っていた3歳上の彼氏との子どもです。
当時は妊娠検査薬もなく、生理が来なくなったから産婦人科で調べてもらいました。
私は若い頃から子どもが早く欲しかったので、とてもうれしかったのを覚えています。
これを機に結婚しようと思っていました。
彼氏もそのつもりでいてくれたので、妊娠したという結果には特に困ることはありませんでした。
しかし、この妊娠はうまくいかず、「胞状奇胎」という1,000人に1人という確率で起こる異常妊娠でした。
通称は「ぶどう子」とも言います。
卵子の染色体異常が原因といわれています。そのため、おなかの中で赤ちゃんが育たちません。
流産もしなかったので、手術で堕胎手術を行わなくてはいけません。中絶手術と同じ方法です。
お医者様から「赤ちゃんを掻き出します」と言われて、「え!?ちょっと待って!!」悲痛な思いでいっぱいでした。
手術当日は気持ちがついていかず、ただただ、悲しくて悲しくてしばらくは立ち直れませんでした。
追い討ちをかけるように、お医者様から「胞状奇胎は除去した後も10,000人に1人再発して組織が
悪性に変わる場合があるので、しばらく病院に通ってね」と言われ、この歳でガンになるの?とさらに落ち込みました。
その後、検査で病院に通いつつ、再度また同じ彼氏で妊娠。そしてまた「胞状奇胎」
私はもう一生子どもが出来ない身体なんだなと思い、悲しくて仕方なかった。
また手術をして、毎月病院に1年通いました。
私の母親も妊娠も胞状奇胎のことも知っていたし、私も辛くて彼との別れを選びました。
もう子どもがいない人生を歩むしかないんだな。そう思い過ごした時期でした。
妊娠と結婚
彼氏とも別れ、この歳で子どもを産むことを諦めたので自暴自棄になっていた22歳の私。
激しく男性と遊び、今となっては黒歴史です。
その時に再度妊娠。どうせまた育たないしな・・・と思っていました。
検査で病院にまだ通っていたので、検査の時に妊娠検査も同時にしてもらいました。
意外にも赤ちゃんは育っていきます。
二度の胞状奇胎を経験しているのと、赤ちゃんを諦めていた私には「中絶」という選択肢はなかった。
ひとりででも絶対に産む!と決心し、赤ちゃんの父親に相談。
そのまま結婚することになり、無事に出産することができました。
かわいい女の子です。
胞状奇胎の検査で通っていた病院で出産したので、無事に出産できてよかったね。とお医者様からも言われました。
すごくすごく嬉しかったです。
離婚
残念ながら結婚後に豹変した旦那様に激しいDVを受けました。
酒乱でもなく、何か気に入らないことがあると殴る、蹴る。
包丁はつきつけられるし、首はしめられる。生きた心地がしなかった。
子どもを産んだ後だと、子どもを殺すことは私には出来ない。そう思って自ら命を絶とうとしたこともありました。
子どもを産んだらきっと変わる!
そう信じていましたが、その思いは裏切られました。
子どもを抱いた私に暴力をふるった時に子どもにかすったことが許せず、
いつか子どもに暴力をふるったら、私はこの人をあやめてしまう。
そうなれば、子どもは殺人者の子どもになってしまう。と考えて、母親に相談し夜逃げして離婚しました。
シングルマザー生活
離婚後はシングルマザーとなりますが、誰にも暴力はふるわれないし、子どもはかわいい。
2人で暮らしていくことは、とてもとても幸せな時間でした。
慎ましくとも、子どもには不自由させたくない、片親だからといってバカにされたくない。
そういう気持ちが強くありました。
子どもを将来大学にいれるには、手に職が必要だ!と思い、当時Window95が出始めてたので
パソコンインストラクターになろう!と学校に通って資格も取りました。
当時正社員で雇っていただいていた会社には色々と融通をきいてもらえて、感謝しかありません。
中絶
離婚して1年過ぎた頃につきあっていた彼氏との間に子どもが出来てしまいました。
付き合ってまだ2ヶ月。離婚のきっかけとなったDVのこともあり、男性を完全に信じることは出来ません。
子どもを育てるのに必死で、また結婚するという考えは私にはありません。
子どももまだ小さくて、もうひとり産むという選択は私には出来なかった。
ましてや、その彼と結婚したい。とは思えなかった。
ただ、彼は私と結婚したかったようで、完全にはめられた感じはしました。
望んでいない妊娠
子どもを産むまで二度の胞状奇胎を経験し、子どもを得た喜びは、普通に妊娠できている人よりはあったと思います。
迷いに迷い、彼氏に告げました。
「私、結婚するつもりは今はない。そして子どもを産むことは無理です。」
中絶すると次に妊娠する時にリスクがあるかもしれない。
でも、私にはこの子がいる。一生ひとりでもこの子がいればいい。
そういう気持ちの方が大きかったのかもしれません。
また、厳格な親に育てられていたので、離婚して1年でまた再婚するとは言えなかった。
妊娠した事実も言えなかった。親に伝えることも怖かったのは、少なからず原因の1つだったかもしれません。
胞状奇胎、出産をした病院に妊娠検査に行きました。
その時、お医者様に伝えなくてはいけません。
「私、この子産めません。中絶します。」
命はもう存在するのです。殺人と同じです。
この言葉を自分の口から伝えないといけません。
すごくすごく怖かった。言いたくなかった。
でも言わないと中絶できる時期を過ぎてしまう。
お医者様も看護師さんもなんて思うんだろう。
私のこと、人でなしとか思うんじゃないのかな。
軽蔑されるんだろうな。
グルグルと色々と考えましたが、産めないものは産めない。
決心して伝えるしかなかった。怖かった。辛かった。
おなかの子どもも「なんでお姉ちゃんは産んで、私は産んでくれないの?」
そう思われているのかもしれない。
後悔しかしなかった。
妊娠・結婚したかったのは私じゃないのに。
中絶の手続きをし、手術日を決め、同意書をもらいました。
彼氏に同意書にサインしてもらい、病院につきあうと言われましたが辛いから断り、
友人に付き添いを頼みました。
日帰り手術で、手術終わって数時間病院で寝てから自宅に戻りました。
貧血がすごくて、立ち上がると目の前真っ暗です。
1日は会社を休みましたが、翌日からは出勤して仕事は出来ました。
私はまだ彼氏が同意書も書いてくれ、中絶費用もくれたので、まだマシなのかもしれない。
でも、身体が傷つくのは女性なんです。
彼氏とも中絶を機に分かれました。自分勝手なことを考えていた彼氏が許せなかった。
でも、自分の身は自分で守らないといけないことを知りました。
結婚・出産・二度目の離婚
離婚して6年くらい経った時に1年付き合っていた彼氏と結婚しました。
この時に妊娠し、出産しました。かわいい女の子です。
今度は私の連れ子である長女をいじめる。
何度言っても直してくれない。
長女が「家出したい。」と私に伝えてくれたので、離婚に踏み切りました。
子どもの成長
離婚から12年。
今では子どもと幸せに暮らしています。
長女が私が最初に長女を妊娠した23歳。
次女が16歳。
ふたりとも女の子です。
ふたりの娘も私が過去に中絶したことは伝えていないので知りません。
ただ、私が辛かった同じ思いはして欲しくない。
絶対に身体も心も男性より傷つくのは圧倒的に女性です。
中絶すると今後の出産に影響でるのかもしれない。と不安にもなります。
娘たちも思春期やある程度の年齢になっているので、男性とのお付き合いもあります。
私が中絶した経験から、
自分の身体は自分で守ること
これは娘たちに伝えています。
避妊具を使いなさい。彼氏が買わないのなら私が買ってあげるから渡しなさい。
彼氏が出来たら、財布に1つ常にいれておきなさい。
傷つくのはあなた
避妊してくれない、避妊具をつけてくれない男性は、きっとあなたを大事にしてくれていない。
そんな男とは別れなさい。
自分を大事にしてくれる人はきっといる。
長女は今の彼氏と同棲しているので、妊娠したとしても結婚はするのでしょう。
結婚するという話も聞いたし、同棲前に挨拶してくれたので安心はしている。
次女はまだ高校1年生。
多感な時期です。色々と興味もでるでしょう。
でも、自分を傷つけることはしないで欲しい。
どんな親も子どもの幸せを願い、子どもが傷つくのはみたくない。
娘には、妊娠したとしても、産めないとしても、必ず相談して欲しい。と伝えています。
ひとりで抱えて欲しくない。
どんなに不安で、どんなに怖くて、どんなに自分を責めるかを私が経験しているから。
同年代できっと同じ気持ちの女の子もいるのかもしれない。
親に相談できず、誰にも相談できないのもすごく分かる。
人に言えない。言いたくない。知られたくない。
誰も知らないところで相談したい。
病院も誰にもしられない自分の住んでいる地域以外がいい。
そんな女の子たちの不安を少しでもケアしたいと思い、
このブログをはじめました。
私の娘と同じ年代の女の子に傷ついてほしくない。
中絶しても、妊娠できる可能性があること。
自分の娘が困ったときに、何をしたらいいのか、どうしたらいいのか。
そのために中絶に関する情報で少しでもあなたの気持ちに寄り添えて
ケアできる内容を書いていきます。
病院にいくことは怖いです。中絶をお医者様に告げるのも怖いです。
泣きたくなります。自分が悪くないのに・・と相手を責めます。
自分のことも責めます。霊に憑かれるんじゃないかとまで思います。
でも、病院にいかないと出来ない身体のケアはあります。
自分の身体はひとつしかありません。
あなたの身体はあなたがケアして守って大事にして欲しい。
そんなお役に立ちたいと思います。